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里親へのインタビュー

里親へのインタビュー
【養育里親】
里母Sさん 60代
※2022年12月現在の年齢

一番近くで伴走することができる

Sさんは30歳の時に里親登録をして最初は3歳の女の子を、その後しばらくして生後6カ月の男の子を2人を養育されてきました。その二人も大きくなって自立し、今は短期で委託を受けられています。ベテラン里親さんに里親登録当時を振り返っていただきながら、これまでの出来事や子育て観についてお話を伺います。

もう30年以上里親として子育てをされていると伺いました。
どのようなきっかけで里親を始めたのでしょうか。

もうそんなになるのね(笑) ずいぶん昔のことになるけど、私は結婚しても子どもができなかったんです。でもその頃に、当時住んでいたマンションの子ども達が遊びに来たり、友人が始めた保育所のお手伝いに行ったり、子どもたちと関わる機会はありました。
保育所ではさまざまな子どもたちがいて、実際子育てに触れたときにもっと子育てついて、子どもについて知りたい!って感じて、それで里親になりたいって思たんです。
ちょうどテレビでも里親についての番組をやっていて、それを見た主人が「いいなぁ」と言ったので、すぐ話を聞きに行って登録しました。

子どもについてもっと知りたいという気持ちが強かったのですね。

そうね(笑) それで半年くらいしてから3歳の女の子、その後しばらくして生後6カ月の男の子の委託を受けました。二人とも、もういい大人でそれぞれ自立をしているのよ。
大変だったことも楽しいこともたくさんあったけど、あっという間だったわね。

詳しくお聞きしてもいいですか。

大変だったのはやっぱり一番最初の時ときですね。当時3歳だったEちゃんと交流を重ねて、いよいよ家に迎えたとき。最初の1週間ぐらいは落ち着いて生活していたのだけれど、それでも夜になると泣いて当時の乳児院の担当の方の名前をずっと呼んでいたの。今思うとEちゃんにとっては慣れない環境なんだから当たり前よね。それで毎晩おんぶして外を散歩したりしていました。
そうそう、Eちゃんは動きも活発でしたよ。テーブルでご飯を食べるために、子ども用の素敵な木の椅子を用意したのだけれど、翌日バラバラになっていたり(笑) 仕方がないからスチールの椅子を用意したら、今度はそれをひっくり返して遊んだり、テーブルの上にその椅子を乗せて、さらにお風呂の椅子を乗せて、棚の扉を開けようとしていたり。その時はもう「ちょっと待ってー!!」って大きな声が出ましたね。 子どもって面白いですよね(笑)
それからはとにかく「安全第一、ケガをしないように育てていこう」って思って、買ってあった女の子用の可愛いフリフリのお洋服を全部破棄してズボンを用意して、裾もゴムを入れて。高いところから飛び降りても安全なようにしましたよ。
可笑しいでしょう?(笑)

元気いっぱいですね。

もう、本当に元気いっぱい。 その後Eちゃんが小学校1年生の3学期のときにN君を迎えたんだけど、その頃にEちゃんが、学校で真っ黄色の絵を描いてきたの。花瓶に挿された花の絵なんだけど、全体がすっごい真っ黄色の絵を描いて来て、とてもびっくりしました。それで「これは大変だ!」と思って学校の先生に相談しに行ったんですよ。こんな真っ黄色の絵っていうのは、心の中に何か求めている心理状態なんじゃないでしょうかって。そうしたら学校の先生は「まぁ、子どもですからそういうこともありますよ」って(笑) でも黄色は欲求不満を表すっていうから、私なりに色々考えました。
N君が来たことで今までとは環境が大きく変わったEちゃん。だからまずはEちゃん、その次N君と順番など意識して関わっていたつもりだったけど、まだまだ足りなかったんだって思いました。だからEちゃんがある程度自分で出来ていたお風呂も、赤ちゃんと同じように頭の先から足の先まで洗ってあげるようにしたんです。
自分が一番大事にされてるって思ってほしくて。そうして3、4カ月したころかな、突然ですよ「お母さん、もう大丈夫。私一人で入れるよ。」って言ったんです。とてもビックリしましたし、子どもってそういう風に言えるんだなって感じましたね。

黄色い絵からサインをキャッチするアンテナと、Eちゃん自身の成長する力に驚きます。

子どもの成長する力は本当に素晴らしいし、私も子どもに育てられているのよね。
実は昔、私は人が苦手で対人でのやり取りが出来なかったんです。小学校の頃は本当に一言も話さずに、学校を出てきちゃったぐらい。授業中、先生に指されても答えないような子で、だんだん先生も私を飛ばすようになっていました。
なのに今ではこんなに喋るようになっちゃった(笑) 
学校では友達と話もしなかったし、外にも出ていかないし、人前で喋ることなんてとてもできなかったんですけどね。だから学校を出て困ることも多かったので、子どもたちにはたくさん友達を作って欲しいなとも思っていました。
そしてこの子が生きていく30年後の未来について、どうなっていくんだろうって思うようになりました。子どもたちがまだ小さかった頃は、廃棄物の問題が色々出てきていた時代で、30年経ったとき、そのことについて「お母さん、何をしてくれてたの?」と言われたら私は何を弁解したらいいんだろうって、思ったの(笑) それで、今では当たり前だけど、牛乳パックの回収運動というものがあるのを知って、市内で牛乳パックの回収を始めたんです。自分でもそんなことするなんて驚きでしたよ。だからこの子が私を動かしているんですよね。私が一人だったらそんなこと考えないし、「まぁ。そんな活動もあるのね」ぐらいにしか思わないけど、この子の未来のためにはやらざるを得ないじゃないですか(笑)
育てたこの子の未来は私にも責任があるでしょ、って思いましたね。それぐらい変わりました。

ご自身にそんな変化があったのですね。

変わった、変わった(笑) それで子どもたちも自立したから、そろそろ里親を辞めようかなと思ったんだけど児童相談所の方から連絡があって、今は短期のお子さんを受け入れているの。本当に里親になる前の自分からは想像がつかない人生ですね。

子育てについて考えやイメージでも変化はありましたか。

変わったというのは無いけど、子育てというのは「子育てか仕事か」って、そういう並列できるものでは無いと思っています。一人の子どもって本当に未熟で生まれてくるでしょ。生まれて放置されたら生きていけない。心も身体もそんな未熟で生まれてくる子が一人の人間に育っていく過程を、一番近くで一緒に伴走することができる。これって本当に素晴らしいことですよ。
そして子どもがいるから親になれる、親も一緒に育っていく。子どもを育てるということは、とってもすごいことなんですよね。私はこんなすごいことはないと思っていますし、こんなに素敵なことは、やらなきゃ人生損だって思っているの。
私は自分で子どもを生んでいないけれど、子育てをさせてもらってるっていう、こんな素晴らしい経験をさせてもらいました。里親制度で私も育てられていると思っています。
子どもとのご縁は玉手箱。どんな出会いがあるのか楽しみで仕方ないですよ。私はすごく幸せな生き方をさせてもらっていると感じています。

ありがとうございます。
最後にメッセージをお願いします。

一人の人間を育てていく、その育っていくところに寄り添うことができるこの里親制度。そして里親の私自身も育ってきました。子どもを通して色々な方と出会いたくさんのことを学ばせてもらって、親として育てられて、本当に幸せです。
子どもと出会い、そしてこの子に秘められたものは何だろう!?とワクワクしながら、子どもの成長にのんびりとペースを合わせて、一緒に生きていく。
「こういう子に育てなきゃ」ではなく「この子はどんな風に成長するのかな」って楽しみながらぜひ多くの方に携わっていただきたいなと思います。

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