里親へのインタビュー
【養育里親】
Sさんご夫婦(夫:Kさん 50代 妻:F美さん 50代)
Y君 10歳
※2022年10月現在の年齢
当時、里親制度をあまりよく知らなかったと話す里母F美さん。現在、長期委託のY君と一緒に暮らし、「毎日が胸いっぱい」とこぼれるような笑顔で仰います。里親になったきっかけと、そして現在どのような気持ちでこどもたちを受け入れ育んでいるのか、当時の出来事や心境の変化を丁寧にお話し下さいました。
はい。結婚後に子どもができず、どうしても自分たちの血を引く子どもが欲しかった私たち夫婦は、数年間不妊治療に取り組んでいました。でもなかなか上手くいかず、毎日不妊治療のことで頭がいっぱいでしたね。だんだん気持ちに余裕も無くなって検査結果に一喜一憂する日が続いて、友人のおめでたい報告にも喜ぶことができなくなってしまいました。
「とにかく妊娠したい」、これが私の目標になっていたと思います。
治療の甲斐もあって夢にまでみていた妊娠をすることができ、経験してみたかったつわりもありました。よく食べ物の好みが変わるって聞いていたけれど、私の場合は水道水がものすごく美味しく感じました。水道水しか体が受けつけなくなっても妊娠できた喜びの方がはるかに大きくて、子どもの名前を考えて幸せを噛み締めていました。 着々と準備は進み、出産する病院まで決まったのですが、ある時の定期健診でのこと。そこで「心音が聞こえません」と医師より突然告げられました。全身が凍り付きました。 「けいりゅう流産」といって原因は不明でしたが、突然に亡くなってしまったという事実をどうしても受け止めることができず、天国から一気に地獄の底に叩きつけられたような気持でしたね。 この世にこんな悲しいことがあるのかと思うほど泣きました。
悲しいお別れのあとも不妊治療を辞めることができず、憔悴しきっていました。そんな私の姿を見て、医師は「あなたが今回にかけていた気持ちはよくわかるよ。でもね、養子縁組という道もあるんだよ。考えてみない?」と言いました。血縁にこだわって6年間も辛い不妊治療をしてきたというのに、突然の医師の言葉に理解が追いつかず、「そんなの絶対嫌です!」と言いながら、今までこらえてきた感情がワッと溢れて泣いてしまいました。
それはある事がきっかけでした。自宅近くで、へその緒がついた産まれたばかりの赤ちゃんが置かれていたという大変ショッキングな事件があったんです。 「私だったら、大切に大切に育てるのに・・・!」と、やりきれない怒りでいっぱいになりました。と、同時に、「たとえ血がつながっていなくてもいい、私は子どもを育てたいんだ!」と本気で思った自分がいました。その気持ちの変化は、自分でも驚きでした。
里親については知っていましたか。
最初は何もわからずでしたが、まず主人に相談したら大賛成してくれました。
それから色々調べて特別養子縁組、養育里親、一時保護、もうそれはそれはネットなども使って隅々まで!調べていくと、里親になるには児童相談所へ行き研修を受けて、登録が必要ということが分かり早速電話を掛けました。
そこから入門講座へ参加して研修、実習という流れで無事登録となり、現在に至ります。
登録して間もなくの頃、8歳の女の子の一時保護のお話がありました。
今となってはあるあるなんですけど、1日目2日目は緊張もあってか大人しく過ごしているんです。でも3日目ぐらいからもうね、大変でしたよ(笑) あれ嫌だ、これ嫌だって始まって、一番困ったのはお薬ですね。1日3回飲まなきゃいけないのに、飲ませようと奮闘している間にもう次のお薬を飲ませなきゃいけない時間が来ちゃう。あれは本当に大変だったなぁ。もう根気強く付き合っていくしかなかったですね。
その後は中3、中2、2歳と年齢差のある3兄弟。夏休みから一緒に暮らし始めたので、毎日賑やかで、お弁当作りやビックリするほど泥だらけになった野球のユニフォームの洗濯、これは洗い方をYouTubeで調べたりもしました(笑) 一方で2歳の子のおむつ交換など目の回るような忙しさでした。忙しさについ、「もー」なんて言いながらも、子どもたちの洗濯とかできることが幸せでやりがいはありましたね。
受け入れる子どもの希望年齢はありましたか。
登録当初は0歳から3歳からまでの女の子を希望していたんです。でも最初に話をいただいたのは一時保護の8歳の女の子でした。女の子ではあったのですが、一時保護とはいえ希望していた年齢のイメージに比べて「8歳って大きいな」って思ってたんですけど、実際一緒に暮らしてみたら「まだまだ小さいじゃないか」って感じました。希望年齢の幅を小学生いっぱいまで広げるきっかけになりました。
まず、委託されてみて分かったのは、私がイメージしている子どもの年齢よりもずっと幼かったということ。きっと背景には色々な事情があったんだろうけど、だからこそ「うちに居る間は」と思って、勉強したり、遊んだり、何でもない時間もできる限り一緒に過ごすようにしました。
それから里親になってみて気づいたのは、今まで自分の子どもを産んで自分の家庭を築く、という自分の幸せしか考えてなかったのではないか、ということです。社会的養護を必要とする子どもたちにとって、愛情いっぱいの家庭で過ごすこと、愛着の及ぼす影響の大きさ、人格を形成する年頃に家庭の中で幸福感を感じながら育つこと、これらがどんなに大事であることかを実感しました。
それもあって委託希望の年齢の幅も広げて、何よりも委託を受けていくうちに、男の子であろうが女の子であろうが、たいして気にならなくなりました。それからは、男女どちらでもいいなという気持ちで次の委託を待っています。
そうですね。そしてそれから間もなく、今度は長期委託のY君に出会うことができました。
Y君は最初から長期委託のお話で、2歳8カ月でうちに来ました。来たばかりの頃、「ワンワン」や「バス」のような単語はしゃべれるけど、「ワンワンが居る」のような2つ目の単語が出てこなくて、言葉の成長が少しゆっくりな子でした。当時を思えばやっぱりすごく心配でしたけど、しばらく一緒に生活をしていたら急に流暢に話しだして「えー!?」ってすごくビックリしました。
そうだと嬉しいですよね。子どもの成長力にとても驚きました。
でも他にも大変なことは色々あったんですよ(笑)
来たばかりの頃は朝まで寝ない、お菓子しか食べない、お風呂は入らない、歯磨きは絶対したくない、と、いきなり子育の厳しい先制パンチをくらいました。Y君の有り余るエネルギーに振り回され、全く思い通りにならない毎日に最初の数ヶ月はとにかく必死であったとしか記憶がありません。
スーパーまで行ったけど、騒いで大変だから入らずに帰ったことも何回もあります。
その中でも一番大変だったことは、激しい夜泣きが半年以上続いたことかな。私でないと泣き止まず、主人や私の母があやしても全然泣き止んでくれませんでした。それも背中をトントンするぐらいでは納まらず、抱っこをしてしばらくユラユラしないと泣き止んでくれず、寝不足で毎晩フラフラになりながら寝かしつけをしていました。
主人とも協力をしていたけれど、「私のやりたかったことは、こういうことだったかなぁ・・・」と正直弱気になることもあって、母親として試されているような気がしましたね。
でもある時、「この子はこんな小さな身体で環境の変化に耐えて頑張っている。一番大変なのは私じゃない、この子なんだ」と、気がつき、夜泣きでもなんでもかかってこい!と腹を決めました。
本当に(笑) でも、今そのときのことをY君に聞くと、「何かわからないけど、すごく怖かった」と言うんです。言葉の成長がゆっくりだったY君のおしゃべりは、主人も私の母も、何を言っているのか全然理解できませんでした。最初、家族の中で唯一理解できたのは私だけでした。
そんなY君は当時つたない言葉で「おかあたんはずっとY君のママ?」と一日に何十回と聞いてくるので、私は何かをしていても必ず手を止めて「そうだよ。おかあたんが、ずっとずーっとY君のママだよ!」と伝えて、ギューっと抱きしめました。その時の安心したY君の可愛い笑顔はたまりません。この幸せタイムは言葉を変えて今でも2人でやっています(笑)
交流期間中から大泣きをされてしまっていたのですが、最近その時のことを改めてY君と話したんです。そうしたら「あの時はまだ喋れなかったけど、あの時に戻れるなら僕は『お母さん!僕に会いに来てくれてありがとう!』ってお母さんに言ってあげたいよ」と言われました。布団の中で話をしていたのですが、感激して思わず中に潜ってしまいました。 こんな日が来るなんて思ってもみなかったし、こんなに優しいお兄さんに成長してくれたことに感謝でいっぱいです。
世代的に6人、7人兄弟が当たり前の両親たちですが、最初はどうやって伝えようかと思いました。けれどみんな反対もなく、子どもと会えば昔から知っているように違和感なく接してくれています。昔母に、「血の繋がっている子を産めなくてごめんね」って言ったことがありますが、「そんなの別にいいよ」って言って里親になることを賛成してくれました。周りの賛成もあって本当にありがたいなと感じます。
私はずっとこの地域で育ち、今も住んでいます。なので、近所の人たちはうちに子どもが居ないことを知っています。そこに突然2歳の子どもが来たら…。周りにどう思われるのか、実は私が一番気にしていた事でもありました。でもY君と出会い、一緒にいられる嬉しさから、周りの人からどう思われるかという不安は一瞬で吹き飛びました。自分でも不思議なんですが、そんなことはどうでも良くなりました。
親しい友人や、ごく近所の方にはY君が来ることを事前に伝えておいたのですが、私の想像していた以上にみんなとても喜んでくださり、「Y君に」と、洋服やおもちゃ、三輪車までお下がりをたくさんいただきました。
近所の方と道で会えばお菓子をもらったり。歓迎されて本当にありがたく感謝でいっぱいです。
Y君は長期ですが、これまで一時保護でうちに来たお子さんは11人になりました。
実は今月も2歳の女の子が9日間、うちに来ていたんです。
やはり不安だったのでしょうね。最初の3日間はずっと夜泣きが止まりませんでした。でもそんな夜泣きが始まると、私が起きるよりも早くY君がサッと起き上がって泣いているその子を抱っこし、ユラユラしながら「これが一番気持ちいからね」って言ったんです。
ああ、Y君は覚えているんだなぁ、自分がしてもらったこと今度は自分がしてあげてるんだな、と、Y君の成長が嬉しく、とても頼もしく感じました。
近頃は一時保護のお話が来ない日が続くと、「最近、依頼が来ないねー」と心配して何度も言うんですよ(笑)自分のことを「僕はミニ里親だ」と言っていて、気持ちはもう里親になっているみたいです。
困っている子が居るなら短期も長期も性別も関係ないかなって、これが私の家族のかたちだと最近思うようになりました。
みなさんも、新しい家族の形をこれから作っていかれると思います。不安もあるかもしれませんが、私達もついています。安心して飛び込んで来て下さい。お子さんを迎え入れた時、きっと割とすぐに現実の壁にぶち当たると思います。思い通りにならない現実に打ちのめされる日もあると思います。 でも、それ以上に子育ては大きな幸せを実感できます。私達と一緒に子どもを育てながら、共に成長していきましょう。
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